「遺書」(世相に絡めた事実に反する文章です)
今日も一人子供が死んでいます。
小学五年生の男の子が学校のトイレで首をつったそうです。
何によって彼が死を選んだのか、その死によって残された世界では何が変わったのか。
「死んだ」という情報からだけでは私は何も知る事ができません。
きっと、私にとっては彼の死は無意味です。
私も死のうと思います。
私が死ぬ事にも全く意味はないと思います。
死んだら楽になるだなんて誰も保証してくれません。
死んでも私が死のうと思うに到った原因にあたる人々は全く心に痛みを持たず、遠からぬ未来に私の存在した過去も忘れ去るでしょう。
それでも私は死のうと思います。
私には子供がいます。
一歳になったばかりの息子です。
名前はゆうきです。
この世界を、生き延びる勇気を、希望が有るように、といろいろな祈りをこめて名づけました。
私はこの子に対する社会的な責任も義務も権利も放棄して死のうと思います。